sohomug’s blog

住宅ライターのちょこっと仕事からはずれた話

歌うこと

「生まれ変わるなら運動神経のいい人か、歌のうまい人になりたい」と息子が言ったとき、あまりに自分と同じでびっくりした。うちの家族は、運動神経がよくて歌のうまい夫と娘、運動神経が悪くて歌の下手な私と息子、にくっきり分かれる。

 

息子は歌は下手だが音楽は大好きで、しかもかなりマニアックな姿勢で深堀して聞いている。そして運動は全般的にダメなのだけど、唯一バスケだけはスラムダンクの影響で小学校の時から自ら進んでやり始め、中学、高校、大学と熱中してやっていた。見るからに素質はないけど努力で何とかそこまで到達した感じで、いつもチーム内でそこそこの位置にいた。

 

息子にとってのバスケが、私にとっての音楽に似ている気がする。

 

小学校の器楽クラブから始まって、トランペット鼓隊、ブラスバンド、ギターアンサンブルとずっと音楽系のサークルに属し、大学でのブルーグラス、そしてオールドタイムへと、もうなんだか趣味以上のライフワーク的なものになっている。

 

それでもずっと思っている。私は歌が下手だ。

 

そもそも幼い頃から歌っていた記憶があまりない。思えば母も、同居していた祖母も、歌っていたり一緒に歌ったという思い出がない。父に至っては「勉強も運動もできるのに、音楽だけはダメ」というのが笑い話的にたびたび語られていた。

 

私の歌に関する一番古い思い出は、小学校の時、音楽の先生が教えてくれた歌い方(と自分では思っていた歌い方)で家で歌っていたら、母に「なんでそんな変な歌い方するの?」と笑われたことだ。馬鹿にするように笑った母をずっとひどいと思っていたけど、今思えば「先生が教えてくれた歌い方」をしようとする時点で、ナチュラルに歌の好きな子じゃなかったんだ、私は。

 

生まれ持って音楽が好きだったのかどうかも疑わしい。運動ははっきりと嫌いで苦手だったから、運動以外のクラブ活動的なもので、音楽を選んだのかなという気もする。ただ、やってるうちに音楽が好きになったのは事実で、しかも自分の歌の下手さをあまり自覚しないまま、バンドで歌ったりするようになってしまった。

 

バンドで歌ってる時ももちろん、下手だったのだが、主にコーラス部分を歌ってたから、「ハモってるかどうか」は気になったけど、自分が歌が下手だということはあまり気づいていなかった。

 

それにバンドだと練習するから、練習した歌はそこそこ歌えるのだ。下手さがくっきり露呈するのは、日常会話の中で歌を口ずさんだ時だ。何かの曲を説明しようとして歌った時、「え?何の曲?」って感じで戸惑った笑いをされたり。何気なく歌ってたら薄ら笑いされたり。

 

そんなことを繰り返して、さすがに私も自分の歌のレベルに気が付き、一時歌うのがとても嫌になっていた。特にわが家には薄ら笑いで音痴を傷つける歌のうまい人が常駐しているから、家の中では絶対に歌わないようにしていた。

 

吹っ切れたのはいつ、何がきっかけだっただろう。自分の書いた歌詞を自分で歌いたいと思ったこと、「誰に聴かせるためでもない、日記を書くように音楽をやろう」と思ったこと。

 

今でも日常生活の中で歌を口ずさむと外れ具合に自分でも仰天するし、練習した歌も録音を聴くと突っ込みどころ満載だけど、バンジョーを弾きながら歌うのがしみじみ楽しいし、自分史上一番、歌うことが好きになっていると思う。