sohomug’s blog

住宅ライターのちょこっと仕事からはずれた話

ネコになりたいブルース

「ネコになりたいブルース」という詞を書いたのは、まだ会社勤めをしていた頃だったか?

 

  今日も朝起きるのはとてもつらかった ボーッとした頭コーヒーでたたき起こし

  とりあえず手当たり次第に服を着て 朝ごはん食べる暇もなく飛び出した

 

まんま、そんな生活だったな。しかも当初書いた詞は朝ごはん食べる暇ではなく、「顔を洗う暇もなく」だった。実際、顔も洗わずに出社してから洗面室で洗ったりしてた。20代の女子が。

 

  ちょうどそのとき ネコが一匹ゆうゆうと

  陽だまりに寝そべって 顔をゆっくり洗いながら

  あんた明日からネコになったらなんて ちらり横目で見て そう声かけてきた

 

ここは全くの創作。実際は道端のネコに関心を払う余裕もなく走ってた。でもネコに教えられたというか、気づかされたことがたくさんあるのは本当のこと。

 

実家ではネコを飼ったことがなかったし、自分ではネコはあまり好きじゃないと思ってて、飼う気は全くなかった。それが2人暮らしを始めた小さな借家に、野良猫がやってきたのだ。ちょうど祖母が亡くなったときだったんだけど、そのネコの地味なたたずまいと思いにふけってるような顔になんだか祖母の面影を感じて、迎え入れた。そしてずっぽりとはまった。

 

その子はわが家に住みだしてからむくむくと太って、さすがに飼い猫になると太るね、と言ってたらある日、子猫を5匹も産んだ。妊娠してたのか!さらに授乳中は妊娠しないという説を信じて避妊手術もしないままでいたら、前の子たちの貰い手も探せてない間にまた5匹産んだ。

 

友だちに無理やり引き取ってもらったり、地域の新聞に広告を出したり、いろいろ手を尽くして最終的にはわが家に親猫と2匹の子猫が残った。このときの親猫の子育てぶりとか、3匹の性格の違いとかがほんとに興味深くて、ちょうど自分の子どもが生まれる直前だったから、これはもう予行演習だったのかと思った。

 

親猫は私の父が入院していて私がしょっちゅう病院に詰めていたとき、帰宅しても家におらず、でも基本出入り自由で長く出かけてることも多いネコだったから、そのうち帰ってくると思っているうちに帰ってこなかった。父の代わりにどこかに行ったのかなと思ったけど、父もほどなく亡くなってしまった。

 

3匹ともいなくなってしまってからこの町に越してきた。そして捨てられていた子猫を拾い、1匹はミルクから、もう1匹は缶詰は食べられる状態から育てて、見送った。この2匹にもたくさんのエピソードがあるけど、それはまたいずれ。

 

ネコのいた暮らしは懐かしいし、あの手触りにまた癒されたい気もするけど、今どきの「家の中でしっかり手をかけて飼う」というのが私たちには無理な気がするのだ。

 

そもそもわが家は常に開けっ放しだし、ネコがいるときは出掛ける時もネコ用の出入り口を開けていた。もちろん、トイレはちゃんとしつけてたから、外ですることはないと信じてはいるけど。

 

動物病院の先生に出入り自由で飼ってるというと、「今どきはもう、家の中で飼うのが基本ですけどねえ。外に出すとケンカもするし、ノミも付くし、交通事故も危ないですよ」とあきれたように言われた。

 

確かにそうなんだろうと思う。だから今はもう家では飼わない。ようやく、町をのんびり歩く時間もできたので、野良猫たちに挨拶して回っている。