sohomug’s blog

住宅ライターのちょこっと仕事からはずれた話

今さら長い文章を書くことに挑戦してみようと思うなんて

昨年、やった仕事の中で通常の雑誌取材とはちょっと違う仕事が2件。それが若干、私の中に後味の悪い思いを残すことになった。

 

1つはとある住宅会社から派生した関連ウェブサイトに、比較的自由に家にまつわる話を書くというもの。自由にといってもその住宅会社に関連していることは明らかなサイトだから、その会社の方針と全く違うことは書けない。ある程度縛りはある。

 

だけと私が戸惑ったのは縛りの部分ではなく、逆に縛りのない部分で何を書けばいいのかということだった。

 

通常の取材記事や企業レポートなどのように、聞いたこと、先方が伝えたいことを書くのではない。最初はテーマを与えられようとしたのだが、「それだと通常のお仕事と同じようになってしまう」と私が断ったのだ。それが失敗だった。テーマを与えられないと、書けないとは言わないまでも、かなり途方に暮れてしまう自分に気づいた。

 

断片的なテーマは浮かぶのだが、その話を展開できない。ちょこっとしたエピソード的な話ですぐ結論に導かれてしまう。肉付けできない。「論を積み上げる」ということができないのだ。

 

自分の考察の浅さを思い知ることになり、今さらながら自信を失って、払うと言われたギャラさえももらい損ねたくらいだ。

 

もう1つはとある建築家の方の著書のお手伝い。この仕事は「書く」ということを離れて出版社の人とごたごたがあり(まだ続いている)、仕事の実態よりそちらが後味悪いのだが。

 

ごたごたの一つが原稿料の支払いの件で、「文字数に換算したら金額はこれくらい」と言われ、「私の仕事の成果は文字数で計れるもんやないやろ!」と反論したのだが、怒りながらも提示された文字数を見て我ながら「少な!」と思った、確かに。

 

書いた文章については、よくもまああの分かりにくい建築家さんの話を分かりやすくまとめたな、と自負しているが、まとめすぎたというか、あっさりしすぎてるというか、分かりやす過ぎて逆に心に残らない、かもしれない。

 

長年、雑誌という媒体で、限られた文字数の中で効率よく、簡潔に書くことを目指してきたせいか。

 

怖いのはそのために「一つのテーマをじっくり深く多角的に考えることすらできなくなってるかもしれない」ということである。

 

まあ、実際はそんなに悲観的な気持ちではなく、それはそれでしゃあないんちゃうの、とは思ってるけど。。。

 

いいきっかけだととらえて、今さら(こんなに長く文章を書く仕事をしてきたのに、しかも短文全盛のご時世なのに)、長い文章を書くブログを開設しようと思ったのでした。