sohomug’s blog

住宅ライターのちょこっと仕事からはずれた話

沈丁花

沈丁花をはじめて意識したのは、中学3年の終わりだった。松本清張の小説「黄色い風土」の中に登場した「沈丁花の女」で。そのころ沈丁花の香りは嗅いだことがあっただろうが、花の形状を認識してなくて、小説の中のミステリアスな大人の女のイメージから、ぽってりした白い花を想像していた。クチナシ月下美人と混同してたのかも。

 

はっきりと沈丁花を間近に見たのは、夫との二人暮らしを始めてからだったかもしれない。最初に住んだ小さな小さな借家の庭に、沈丁花があった。

 

二人暮らしを始めて1年後だったか、私は超ハードだった制作会社を辞めた。辞めたのが多分2月だったと思う。朝早くから終電近くまで働いていた暮らしから、家にずっといる暮らしになり、庭に面した6畳間で、沈丁花の香りにもわっと包まれながら、胃に近い胸のあたりがうずうずする感覚をじっとしたままひたすら味わっていた。

 

季節を愛でる余裕もないほど忙しく暮らしていたから、のんびりした時間が新鮮でありがたかったというのもあるのだが、それよりもその湧き上がってくる感情に打たれていた。先の見えない、祝福されるとは言えない退職だったから、そのうずうず感は私にとっては、とにかく何かが始まるんだと根拠のない期待に満ちた、幸せなものだった。

 

ところで私が「黄色い風土」を読んだのは、高校受験の前日だった。当時、私の住んでいた地域の受験制度は、内申点で受験校を振り分けられ、受験当日は学力テストではなく「思考力テスト」という謎のテストがあったのだが、落ちる人はほとんどいなかった。だから受験前日といっても特に勉強をすることもなく、「思考力を養おう」と能天気な言い訳をしながら、家にあった父の所有物の小説を読んでいたのだ。

 

それでも合格が決まった時はうれしかった。同じ中学から受験した人たちも全員合格していた。発表を見たその足で、担任の先生に報告するために中学に向かった。職員室に入る前に、女子が数人、沈んだ様子で固まっていたのがちらっと眼に入ったけど、深く考えず立ち止まることもなく、「先生に報告しよう」という勢いのままで、職員室に入ってしまった。

 

職員室の戸をガラッと開けて、担任の席に突き進んで、「全員合格しました!」と弾んだ声で言ってからはじめて、先生の傍らで泣いている同級生の女子に気づいた。血の気が引いた。まさか、不合格になる人がいるとは思ってなかった。担任は私にちらっとうなずいただけで、黙って手を振ってその場を去るように示された。

 

職員室の前で固まっていた女子たちは、彼女の不合格を知っていたのだ。職員室を出てからその輪に近づくと、みんな泣いていた。私は自分だけが舞い上がって周囲の状況も見えず、彼女をさらに傷つけたと思うと申し訳なくて恥ずかしくて、泣くこともできずに呆然とした。

 

結局、彼女は二次募集の私学に行き、中学の時は大人しめだったのに委員長をするほど積極的になっている、と後日誰かから聞いてちょっとだけほっとした。でも中学の同窓会には一度も来ないから、高校受験で締めくくられた中学時代は暗い思い出だったのかもしれない。というわけで沈丁花の季節になると、配慮の足りなかった自分(そして今もまだそういう部分はかなりある)を思い出してずきんとする。